社会人 ゲイ ナギの日記

LGBTの問題について考察します

先日の森会長の発言が物議をかもしています

 JOC臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと女性差別発言をして非難を浴びた森喜朗会長は2月4日、記者会見を開き、約20分間にわたって記者と質疑応答しました。しかし、そのなかで「(世の中には)女性と男性しかいないんですから。もちろん両性っていうのもありますけどね」との発言があり、新たに批判の声が上がっています。
 
 問題となった発言は、このようなやりとりの中で出てきました。

──女性登用について会長の基本的な考え方は。会長はそもそも多様性のある社会を求めているというわけではなく、文科省がうるさいから、登用の規定が定められているという認識か。

いや、そういう認識ではありません。女性と男性しかいないんですから。もちろん両性っていうのもありますけどね。
どなたが選ばれたって良いと思いますが、あまり僕は数字にこだわって、何名までにしなきゃいけないというのは、一つの標準でしょうけど、それにあんまりこだわって無理なことはなさらないほうが良いなということを言いたかったわけです。
 1992年バルセロナ五輪柔道女子銀メダリストで日本女子体育大学教授の溝口紀子氏は4日の日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」にリモート出演し、番組MCの宮根誠司キャスターから会見についての感想を問われて、「冒頭、森さんが女性蔑視のような発言に対して撤回すると言ったんですけども、その後に私は椅子からずり落ちちゃった発言があって」「男性、女性、両性っておっしゃったんですね。これ、かなりNGワードで。LGBTの方をおっしゃりたかったのかわからないですけども、この発言はもう海外では本当に差別ととらえられるんじゃないかと」「やっぱり今のオリンピックアスリートとか世間のLGBTの考え方って随分(森会長の世代と)変わってて。その中で3つなんですよ、男性、女性、両性って。それだけで分かれないんですよ、区分できないんです。それを公の場で言っちゃったことがすごい、ちょっと問題発言。今度、そこを突かれるなと思います」と指摘しました。こんだけ考えなしだとロンブーの敦さんもあきれちゃうわけだ
 また、溝口氏は『日刊スポーツ』紙のインタビューに応じて、改めてこのように批判しました。
「「男性、女性、両性」発言は性的マイノリティ(性的少数者)の方に対して配慮が欠けた、屈辱、差別的な発言だと思いました。セクシュアリティ(性の在り方)が多様化する中で、見識が足りてないのではと思いました。オリンピアンにもLGBTの選手や関係者がいます。その人たちにとって両性でくくられることは、屈辱的な思いをしたのではないでしょうか」
 
 キャスターの辛坊治郎氏は自身がパーソナリティを務めるニッポン放送辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」で、「今回一番ひっかかったところ」だと語りました。辛坊氏は「私もね、あのときの森さんの言い方が、とにかく女性と男性しかいないと言い切ったんですよ。(その後)多分空気を一瞬読んだのでしょうね、これ自体が失言と取られかねないと思った森さんは、そっから付け加えるべき言葉で『もちろん両性もいる』って言ったが、両性って何よ」とコメントしていました。
 
 ハフィントンポストの記事「森会長、謝罪会見の「男性、女性そして両性」発言に疑問の声も」では、「「両性」という言葉は、女性と男性の枠に限定しない性別のXジェンダーやノンバイナリーを意味した可能性はある。しかし、性的少数者の当事者たちへの配慮としては、乱雑な言葉遣いともとられ、森会長の「両性」発言にSNSなどで批判が出ている」として、Twitterなどで「LGBTQなどに配慮しなきゃと考えがよぎったのだろうが、出てきた言葉が”両性” 」「知識の無さを露呈したにすぎない」「男性と女性と『両性』という括りで社会を語る。正直、話になりません」「国際社会にさらに恥をさらした」「インターセックスの人のことを言いたかったのか? だとしても「両性」と呼ぶのは蔑視的」「考え方のアップデートができていない」などと批判する声が相次いでいることに触れています。

 一般社団法人fair代表理事の松岡宗嗣さんはTwitterで、「実際の映像でも「男性と女性しかいないから」と言い切り「やばいまた燃えちゃう」と焦ったのか、取ってつけたように「両性もある」と言った印象だった。言及しただけマシかもしれないが、明らかに認識が甘いし不適切、まず「男性と女性しかいない」という言葉との矛盾。」「いや、やはり認識が「甘い」ではなく「間違っている」な…。性自認が両性とは言わないし、ここでいう両性は「両性具有」という意味なのだろうか。だとしたらなおさら間違った認識。」とコメントしています。
 
 "両性"と聞いて「どういう意味?」と思ってしまった方も多いことでしょう。そもそも森会長のおっしゃる"両性"とは何のことを指しているのか、その考えうる可能性と、それぞれのケースの問題点を検証いたします。
 
 上記の「インターセックスの人のことを言いたかったのか? だとしても「両性」と呼ぶのは蔑視的」との見方(あるいは松岡さんの推察)のように、性分化疾患の方たちのことを指しているのだとすれば、侮蔑的表現にほかなりません(日本性分化疾患患者家族会連絡会「ネクスDSDジャパン」は、こちらの投稿で「DSDs(インターセックスの体の状態)に対して「両性」「両方」「どちらでもない」という表現を使うのはpejorative(侮蔑的)である」と述べています)

 「「LGBTQのこと頭にありますよ」パフォーマンスはお控え願いたい。そして的を外しています」との声も上がっているように、性的マイノリティ全般のことを指しているとの見方もあります。もし、「世の中には女性と男性だけじゃなくLGBTもいる」とおっしゃりたかったのであれば、その発言自体が誤りであり(性的マイノリティの多くは女性または男性であると自認しています)、差別的です(LGBTは「普通」の女性でも男性でもない「特殊な」人々だとカテゴライズしてしまっています)。溝口氏が「この発言はもう海外では本当に差別ととらえられるんじゃないか」「性的マイノリティ(性的少数者)の方に対して配慮が欠けた、屈辱、差別的な発言」と指摘している通りです。

 ハフィントンポストの記事で「女性と男性の枠に限定しない性別のXジェンダーやノンバイナリーを意味した可能性はある」と述べられているように、性自認が典型的な女性/男性に当てはまらない方たち全般を指しているのだと、森会長は「世の中には女性であると自認する人、男性であると自認する人、性自認が典型的な女性/男性に当てはまらない人がいる」とおっしゃりたかったのだという見方も、ありえなくはないでしょう。仮にそうだとしても、「当事者たちへの配慮としては、乱雑な言葉遣い」です。Xジェンダー(ノンバイナリー)の方に対して"両性"とは言いません(海外ではパスポート等の性別欄でノンバイナリーの方への配慮としてやXやOなどの表記を認めている国もありますが、こうした事例を日本語で報道する際、男性でも女性でもないという意味で「第三の性」といった言い方こそすれ、決して"両性"とは言いません)
 なお、Xジェンダー(ノンバイナリー)に含まれるジェンダーアイデンティティとしては、男性と女性の中間であると自認する「中性」、男性でも女性でもあると認識する「両性」、ある特定の2つの性の間で自認する性が揺れ動く「不定性」、それらに当てはまらない「無性」などがありますが(詳細はこちら)、今回の森会長の発言が、男性でも女性でもあると認識する「両性」というジェンダーアイデンティティを指すのではないことは文脈的に明らかです(「女性と男性しかいない。もちろん両性っていうのもある」という発言の"両性"とは、「女性でも男性でもない人たち」という含意であり、Xジェンダーの多様なジェンダーアイデンティティの中の一つを指すと主張するのは無理筋というものです。仮にそうだとしても、Xジェンダーの両性以外のジェンダーアイデンティティの方たちを無視してしまっています)
 
 このように、どのように解釈したとしても、今回の発言をもって「LGBTへの配慮」と見なすことは困難で、仮に配慮のお気持ちがあったのだとしても、根本的に知識(や理解しようとする努力)が足りていないと見られても仕方がないのではないでしょうか。
 
 海外では、女性差別発言に関して、IOC委員のヘイリー・ウィッケンハイザー氏や欧州議会安全保障・防衛小委員会のナタリー・ロワゾー委員長などから厳しい批判の声が上がっていますが、今回の"両性"発言に関しても、海外のLGBTIQコミュニティからの批判は避けられないでしょう。たいへん残念です