社会人 ゲイ ナギの日記

LGBTの問題について考察します

クィアとは!

クィアとは

 LGBTQとかLGBTQ+という言い方をした時のQは、クエスチョニング(SOGIが揺れ動いている、迷っている、定まっていない人)やクィアを意味しています。
 クィアセクシュアルマイノリティの総称でもあります(LGBTや性的マイノリティの代わりにクィアと言っても、問題ありません)
 ただし、クィアという言葉を用いたときのニュアンス、本来の意味合いは、一言で説明するのが難しい、やや複雑なものだったりします。
 以下に、クィアという言葉がどのような意味合いなのか、どのようにしてクィアが用いられるようになってきたのか、と行いったことをお伝えします。
 
 クィアQueer)とはもともと「風変わりな」「奇妙な」という意味の言葉であり、ゲイやトランスジェンダーに投げかけられる「ヘンタイ」「オカマ」という意味の蔑称でもありましたが、それを逆手に取って、当事者がセクシュアルマイノリティ全てを包括する言葉(総称)として抵抗運動(クィア・ムーブメント)や連帯の合言葉として用いるようになり、ジェンダーセクシュアリティを包括的に論じる学問(クィアスタディーズ)にもつながっていきました。
 
 1980年代のエイズ禍の時代、政府の無策によって何万人、何十万人ものゲイ・バイセクシュアル男性たちがなすすべもなく亡くなっていくなかで、レズビアントランスジェンダーも一緒になって立ち上がり、ACT UPなどの抗議運動がアメリカや欧州で起こり、そうしたエイズ・アクティヴィズムから、クィア・アクティヴィズムが派生しました。黙っていては、殺される(「沈黙は死」)。これまでのような穏健なやりかたではだめだ。セクシュアルマイノリティが一致団結し、声を上げ、闘っていかなければ。そんなクィア・アクティヴィズムの合言葉は「私たちはここにいるし、私たちはクィアなのよ、それに慣れることね」でした(異性愛者の規範に無理に自分を合わせようとしたり、隠したりするのではなく、異性愛者が理解できないようなセクシュアリティを生きているけどそれがどうした?と、ある意味、開き直り、ポジティブに表現していくスタンスです)
 「ヘンタイ」「オカマ」といったセクシュアルマイノリティに対する蔑称を逆手に取った「クィア」は、異性愛中心主義に違和を覚える多様な性のありかたを論じる学問「クィアスタディーズ」にも波及しました。クィアスタディーズとは、フーコー構築主義の理論を援用し、ジェンダーセクシュアリティを包括的に論じるもので、ゲイやレズビアン自体が特殊なのではなく、社会に跋扈する異性愛規範(ヘテロノーマティビティ)の方こそが問題なのだと批判します。ジュディス・バトラーの「ジェンダーはパフォーマティヴなものである」というテーゼや、イブ・セジウィックの「ホモソーシャル」概念が有名です。

 

 もう少し、クィアについてのいろいろをお伝えしてみます。

 トランスジェンダーの方々のなかには、性別適合手術を終えて戸籍上の性別も変更した方の中には、日常生活で「典型的な」男性または女性に見える(パスする)ように努め、トランスしたことをできるだけ気づかれないように生きていこうとする方たちがたくさんいらっしゃいますが、一方で、明らかにトランスジェンダーだとわかるような見た目で外出したり、男性とも女性ともつかないような性表現にこだわる方もいらっしゃいます。どちらかというと、後者の方が「クィア」という言葉によく当てはまります。ゲイがドラァグクイーンとしてパーティに登場するような場合も「クィア」です。異性愛規範を脱構築し、典型的な男/女のありようから隔たっていること、その多様さや豊かさを肯定する態度、と言えるでしょう。ドラァグクイーンなどは特にそうですが、世間から見ると「奇妙」だったり「風変わり」だったりすることこそを讃美し、愛でる価値観です。ドラァグクイーンの中にはストレートの女性(ごくまれに男性)の方などもいらっしゃいますが、身体上の性別やセクシュアリティ性自認は問わず、「クィアネス」を体現していればOKなのです。
 
 日本では、90年代から伏見憲明氏が『クィアスタディーズ』『クィア・パラダイス』『クィア・ジャパン』『変態(クィア)入門』といった編著作を発表し、90年代ゲイブームを牽引し、世間にクィアということを認知させるうえで計り知れない貢献を果たしてきました。また、アジアンクィア映画祭、関西クィア映画祭などのイベントのタイトルにも「クィア」が採用されてきました(映画は、LGBTの権利というよりも、名指すことが難しいほど多様な性のありようを描くことに価値がある分野であるため、「クィア」という言葉がふさわしいのです)
 また、FOXlife(ケーブルTVチャンネル)で放送されていた『クイア・アイ♂♀ダサ男改造計画』も(当時、全く世間に「クィア」なんて浸透していなかったのに)原題の『Queer Eye for the Straght Guy』から「クィア」をそのまま用い、「クィア」を世間に広める一助となってきました(実は『クィア・アズ・フォーク』というアメリカでセンセーションを巻き起こしたゲイドラマの名作もあるのですが、残念ながら日本では未だに放送されていません…)